読書の効用

 マキヤヴェッリは『君主論』の中でこう述べている。

 頭を使っての訓練に関しては、君主は歴史書に親しみ、読書をとおして、英傑のしとげた行いを、考察することが肝心である。戦争に際して、彼らがどういう指揮をしたかを知り、勝ち負けの原因がどこにあったかを検討して、勝者の例を鑑とし、敗者の例を避けねばならない。とりわけ英雄たちが、過去に行ったことをそのままやるべきである。

 これを教師の立場に置き換えて考えれば次のようになる。

 頭を使っての訓練に関しては、教師は歴史書に親しみ、読書をとおして、英傑のしとげた行いを、考察することが肝心である。授業に際して、彼らがどういう指揮をしたかを知り、成功不成功の原因がどこにあったかを検討して、成功者の例を鑑とし、不成功者の例を避けねばならない。とりわけ英雄たちが、過去に行ったことをそのままやるべきである。

 生徒には本を読め、と言いながら自らは忙しさを理由に本を読まない教師は、本当に多い。いや、読んでいると言う教師も中にはいよう。しかし、その多くは推理小説などの娯楽小説である。もちろん、それらを読むな、と非難しているわけではない。それらしか読まない、ことを非難しているのだ。
 なぜ、読書が必要なのだろうか。それは「成功不成功の原因がどこにあったかを検討して、成功者の例を鑑とし、不成功者の例を避けねばならない」からである。言い換えれば、到底自分では体験しきれないほど膨大な知識や経験を、読書によって得ることができるからだ。
 教師であるからには、教育雑誌や教育の専門書を読むのは、必要最低限の「仕事」のうちの一つだ。
 もちろん、自分の担当教科に関するジャンルの本も読まねばなるまい。最新の情報を提供できない教師の授業など、生徒に見向きもされなくなる。
 さらに、古典も欠かせない。使い方によってはマキヤヴェッリのように、何物にもかえがたい宝物となるのが古典である。
 また、様々なジャンルの入門書も教師にとっては格好の読書対象である。自分の担当教科に関係のない教科やジャンルの専門書は敷居が高くとも、専門家が素人のために分かりやすく書いた入門書は、読みやすく役に立つものが多い。
 とはいえ、娯楽小説や漫画を読むなと否定しているわけでは決してない。前述した本の上にさらに娯楽小説も漫画も読んでいるならば鬼に金棒、である。
 とにかく、教師はあらゆるジャンルの本を、大量に読めばいい。
 もちろん、読書だけでよい、というものではない。経験も大事である。ただ、教師はあまりに「経験」のみを重視し、「読書」に学ぶことを軽視している。「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」とさえ言われる。しかし、真の賢者はどちらからも学ぶ態度を持っているものではないだろうか。