微妙

 中学生にボキャブラリの豊富さなど求めるべくもないが、それでも何を聞いても「微妙」としか答えようとしない女子中学生には呆れ返る。何に対しても同じような返事しかできないと、社会生活が営めなくなる。だから私はそういう生徒にはしつこく指導する。

「宿題はやってきたのか?」
「微妙」
「教科書は持ってきたのか?」
「微妙」
これは否定で使っている「微妙」である。

「コーヒーとジュース、どっちを飲むのか?」
「微妙」
これは迷いをあらわす「微妙」である。

 「宿題はやってきたのか?」に対する微妙という返事に込められた意味を考えてみると、
(1)全く宿題はやっていないが、はっきりそう言うと怒られそう
(2)少しはやっているのだが、「やってきました」と胸を張れるほどにはきちんと仕上げていない
(3)やったことはやったのだが、家にノートを忘れて来たなどの事情で先生に見せられない
といういずれかであろう。

「教科書は持ってきたのか?」に対する微妙という返事に込められた意味を考えてみると、
(1)持ってきていないのは分かっているが、はっきりそう言うと怒られそう
(2)鞄の中を探してみないと分からない。入れてきたような気もするし、入れ忘れたような気もする
というどちらかであろう。
 
「コーヒーとジュース、どっちを飲むのか?」に対する微妙という返事に込められた意味を考えてみると、
(1)どちらも飲みたくはなくて、例えば紅茶を飲みたいのだが、そうはっきりと言うのもはばかられる
(2)べつにどちらか一方を強く飲みたいという気持ちはないのだが、だからといってどちらか一つに決めるには迷いがある
というどちらかであろう。

 いずれにせよ、それらの感情を一言で片付けてしまうのが「微妙」という言葉だ。自分のそういった感情をきちんとした言葉で表せないのが、子供だ。言い表せない理由を一言で言えば、訓練が足りないからだ。「微妙」という返事で大人がその裏にある真意を汲み取ってしまう。それは子供にとっては、どう言えば相手に分かってもらえるかを考えずにすむから楽ではあるが、彼等の役には立たない。むしろ有害でしかない。大人になって「この仕事の進捗具合はどうなのか」と問われたのに「微妙」と答えては円滑な社会生活は営めない。

 だから、私はしつこいくらいに問いただす。例えばこんな風に。
「宿題はやってきたのか?」
「微妙」
「微妙ってどういうこと」
「だから微妙」
「やったのかやってないのか、どちらかで答えなさい」
「やってないわけじゃないんやけど」
「じゃあ、やっているの?」
「んー、途中まで」
「具体的には?」
「30ページまではやっているけれど、そこからは忘れた」
「なんで続きができなかったん?」
「クラブで忙しくて、昨日も疲れて寝てしまったから」
「じゃあ今までの内容をきちんとした文で言い直しなさい」
「ええと、クラブで疲れて寝てしまったので、途中の30ページまではできているけれど、その続きは忘れました」
「忘れた分はどうしたらいいの?」
「今日、残ってやります」
「もう一度、今の内容も含めて言い直し」
「ええと、クラブで疲れて寝てしまったので、途中の30ページまではできているけれど、その続きは忘れました。だから今日、残ってやります」
「そう。これから先生に報告するときには、単に忘れました、ではなくて、忘れたのでどうします、まで言うこと」
「はい」
「そもそも、これからは宿題忘れないように」